毒にも薬にもならない

片田舎の生活とジョジョを愛する、ありふれた日常。

自傷行為

数年ぶりにレベンクロンの著作を読んで泣いた。
私は今、穏やかな日々を過ごしている。けれどどこかには、まだ風化していない傷が残っているんだろうか?

私は十代の頃、自分の皮膚を刃物で切っていた。
服を着ていれば見えない位置。リストカットならぬアームカットと言うのかな。
白く並行な傷跡があるから、今でも夏服には苦労している。インナー・羽織り・傷かくシートでやりくり。
見知らぬ人の中なら気楽。どう思われてもかまわないから。
友人や仕事関係の人には見られたくない。

生傷をつけることばかり騒がれがちだけど、
明らかに自分を痛めつける行為によって、精神的な苦痛から目を逸らすこと自体は誰だって身に覚えがあるんじゃないかと思う。
やけ酒だってやけ食いだって、ギャンブルや浪費、好きでもない相手との性行為とか。
健全な方向でのストレス発散は、気力がある時じゃなきゃ出来ない。その点強烈な苦痛は、慢性的な精神の痛みを一時的に忘れさせてくれる。

私の母親は私の自傷行為を知って(気付きはしなかった。通院の結果。)
「そんなに死にたいなら殺してやる」と、殴って蹴って包丁を突きつけた。
あれから15年以上経つ。でも、自傷行為に向けられる「世間の認識」は未だにそんなものだと思う。あんな傷で死ねるわけないのにバカみたいだよねー、と。

違う。
あれは「苦痛から何とか逃れて生きたい」サインだ。

嘘かまことか、ツイッターで「学校でのリストカット抜き打ち検査」の話を見た。
ファッションやノリで消えない傷をつけてると思うんだろうか?
そんなことをやらかす子がもしもいるなら、それはそれで知能か自尊心に問題を抱えていそうな気はするけれど。
ただ基本的には、まず「耐え難い苦痛」が存在する。コントロールできない理不尽や自分の感情の暴走を、コントロール出来る痛みでごまかしている。
そして多くは、そのことを他人に知られたくないと思っているだろう。弱い自分は恥ずかしいのだから。
原因には目を向けず面白半分で晒しあげて結果を責めて、無力な子供が救われるとでも?

咳が止まらない人間に「絶対に咳をするな」などと言う人間は、少なくとも現代日本の常識ある大人の中にはいないと思いたい。
病気ならば仕方ない、ただ外出は避けたほうが良い、マスクはある?のど飴舐める?ゆっくり休んでも治らないなら病院で検査して、薬をきちんと飲んで……。そういう、適切な受容とアドバイスが出来るはずだ。

自傷行為だって本来は大差ないと私は思う。
騒ぎすぎず、実用的な気遣いや休養を提供して、然るべき検査や治療につなげる。それだけで十分だ。
メンタルの不調だって「脳という臓器の病気」であり、人間性や精神論という枠に押し込めるのはナンセンスだ。
もっともアレルギーすら「気合いが足りない」「自己責任」「呪い」なんていう人間は存在するが。そういうトンデモは別として、せめて多数派であってほしい。

 

私だって、本来なら傷を隠さない方が良いとわかっている。
腕に「傷跡」が消えずとも、自立している普通の大人だ。
そう周囲が認識してくれれば、身近に自傷行為をする子供を見つけた時にも包丁を突きつけたりはしないだろう。あら大変ねえ、けど知り合いにもいるの、今は元気だし大丈夫だよと、ヘルニアやアトピーと同じレベルの話題になる未来だってあるだろう。

わかっているのに隠している。まだ。
私は、通り過ぎてきた苦痛もひっくるめて今幸せに過ごしている。乗り越えてきた時間を恥じたくないのに隠している限り、このもやもやは消えないのだろう。